開発にも関わってみたいQAだった私が、人間性を評価されなくても通用した理由

目次
ー はじめに ー
この記事はQAからリアルに開発に転身したい方のために役に立てて欲しいと思い、記事にした内容です。評価されなくてもというのは人間性やコミュニケーション能力で評価されなくても、人と人とは相性で、何回もダメ人間としてレッテルを貼られても、必ず相性の良い相手、企業に出会えるという話です。1時的な評価(1社からの評価)に振り回されず、あきらめずに進みましょう。
1.評価されなくても、開発に踏み出してよかった
開発に挑戦した一番の理由は、年収アップでした。
年収1,000万円クラスの暮らしへの憧れだけでなく、残された時間をどう活かすか、そして企業に必要とされ続けられるかという不安もありました。家族や子供を背負っているからこそ、「これまでの人生を取り戻したい」という気持ちが強くありました。
私は長くQA(品質保証)として働き、評価されることもあれば、されないこともありました。品質面での成果が認められ、MVPやノミネートに選ばれた経験もあります。しかし、それが常に続くわけではなく、上層部との衝突や評価のすれ違いによって案件の機会を減らされたり、現場から外されることもありました。
それでも、同僚や部下とうまくやれていた時期もありました。困ったときに声をかけてもらえる関係は、自分にとって大きな支えでした。とはいえ、それも環境や時期によって続かないことも多く、安定とは程遠い状況でした。
転機となったのは、お世話になった途中の1社でQAから開発に転身でき、徐々にステップアップ後に社内プロジェクトでPMを任されたことです。転身直後の研修時のフロントエンド経験を土台に、AIを活用しながらWebアプリ全体を開発し、結果としてフルスタック化を実現。納品物が企業に評価され、開発案件を日常的にこなせるようになったことで、「評価されなくても通用する」という確信に近づきました。
これは、恵まれた環境の成功談ではありません。評価に恵まれない時期も長かった私が、それでも踏み出せた実話です。今だから本当に思いますが、今までの認められるための努力と色々な苦難を我慢した過去の自分を褒めてあげたいです。現状に辿り着けて本当に良かったです。
2.評価されない現実と転機
QAとして在籍した会社は2社。いずれも、開発へ転身したい私には厳しい環境でした。
1社目は受注の事情でQA業務しかできず、開発に挑戦する機会はゼロ。さらに、お客様目線を優先しすぎて社内メンバーに厳しく接した結果、反発と結託を招き、現場から外される経験もありました。年齢的に役職者らしい振る舞いを求められる中、上層部との衝突が目立つ性格も評価に影を落としました。
2社目の開発部門では、年1回の評価面談と、平均1回(約2か月)だけの案件参画。その短期間の結果が評価をほぼ決める仕組みで、条件は非常に厳しかった。年齢に対する暗黙の期待値も高く、求められるのはチーム単位の大きな成果。しかし、周囲との関わりは限定的で、現実と評価軸のギャップに苦しみました。
上司への相談は取り合ってもらえず、提案もスルーされがち。やがて役職者会議でレッテルが共有され、孤立は加速。存在しているだけで会話しづらい空気がまとわりつく日々でした。
そんな中、転職活動で開発職の高い募集年収を目にし、「この世界に近づきたい」と強く思いました。成熟した開発組織では自分の技術力では通用しないと悟り、狙いを定めたのは成長途上の会社。全員が初心者に近い環境なら追いつけると直感し、年収とキャリアの両方を伸ばす道として選びました。
3.戦略と下地作り
40代・未経験での転身は難しく、家族を養うためにも年収確保は必須。そこで最初から開発ポジションを狙わず、まずはQAとして評価を得ることを優先しました。信頼を積み上げた状態で「開発に挑戦したい」と言えば、この歳でも職務変更できると読んだからです。
また、評価されすぎてQAに固定化されないよう、タイミングを見極めました。ある程度時間を使い、評価を受け、その時の上司に役職者育成研修に参加させられた際、正面から拒否するのではなく「開発へ転身したい」という前向きな希望として上司に伝えました。信頼関係のあった上司は当初役職に推す意向でしたが、この希望を受け入れてくれました。
この戦略の土台には、これまでのちょっとしたプログラミング技術的な下地もありました。
- VBAやGoogle Apps Scriptで業務を自動化
- 自作テストツールを開発し、現場の管理コストを削減
- 個人ブログ開設でHTMLやJavaScript、Pythonを独学
こうした取り組みは誰に言われたわけでもなく、自分で決断し実行してきたものです。
4.開発へ転身できるかもしれないと思えた瞬間
こうした下地があったことで、「自分は開発に向いているかもしれない」という感覚が少しずつ芽生えていました。幼いころからコンピューターに得意意識があり、仕組みを理解したり作ることが好きだったことも後押ししました。
社内で「開発へ行きたい」と最初に口にしてからは、評価を得るまで我慢。そして「これ以上QAで評価されると動けなくなる」というタイミングで再び希望を伝えました。幸運にも当時の上司がキャリアの希望を尊重してくれる人物で、役職者が求められる年齢層でありながらも技術的な貢献を評価してもらえました。
この瞬間、「開発へ転身できるかもしれない」という確信が現実味を帯びてきました。
異動や上司入れ替えを繰り返し、10人が敵でも、11人目が敵とは限りません。11人目が味方になるのであれば、その味方ともに進めるだけ進みましょう。あなたが我慢して、会社の言うことだけを聞くことはないのです。もっと言うと、あなたの望むキャリアを叶えるのに手段は選べません。
5.開発をやり始めて感じた“いける”確信
最初の開発案件は「自動テスト開発」でした。必要なスキルはテスト設計、Selenium、Docker、開発環境構築、顧客折衝、リグレッションテストの知識、JIRAやConfluenceの操作など幅広いものでした。
最大の壁はMacBook上でのDocker環境構築。事前にWindowsで簡易的な自動テストを作っていましたが、慣れない環境に翻弄されました。突破できたのはAIの助けと事前準備、そしてQA時代の業務理解があったからです。
環境構築さえ終われば作業はスムーズで、納期の半分で完了。実装は運用保守にも有効で、修正時の調査工数を削減できました。これは無意識にQA視点を持ち込んだ成果でした。
完成した自動テストは実際にプロダクト開発者に使われ、私自身が運用保守を担当。何度も不具合を検出し「役に立っている」と確信できました。私が開発した自動テストは不安でしたが、受け入れも早く、指摘は仕様が曖昧な1件のみでした。
この案件は単発でしたが、以降は開発案件の多い会社に転職し、今では、AWS Lambda+Node.js、複雑なDB、1000行超のSQLなどを扱う“開発者”として日々仕事をしています。「評価されなくても通用する」感覚はさらに強まり、1年続ければ胸を張ってベテラン開発者と名乗れる――そう思いながら前進しています。
本当に向いてる仕事のように感じます。ここまで来るのにかなり大変だったがために、余計にモチベーションはずっと落ちそうもないです。
6.読者へのメッセージ
評価されない現実があっても、キャリアの道は必ずしも閉ざされません。
私が開発へ転身できたのは、運やタイミングだけではなく、「年収」「キャリア」という大事な軸にこだわり続けたこと、そしてその場その場で最善と思える行動を選び続けたことが大きかったと感じています。
会社選びの段階から「開発領域を広げようとしている会社」を見極め、求められることには全力で応え、評価される状態を作った上で転身を打診しました。そうした一歩一歩の積み重ねが、細くても確かな道を作ってくれました。
苦しい時期も何度もありました。孤立し、見放され、居場所がなくなる恐怖を感じたこともあります。それでも「あきらめたくない」という気持ちと、「死ぬときに後悔したくない」という感情が、自分を前に進ませてくれました。
もし今、あなたが評価されない状況にあっても、焦る必要はありません。
環境を変えるチャンスは、日々の積み重ねの中に必ずあります。
その場でできる最大限を積み上げ、戦略を持って動けば、あなたの道もきっと開けます。